1980年8月21日リリース
作詞:五輪真弓
作曲:五輪真弓
編曲:船山基紀
「恋人よ」(こいびとよ)は、五輪真弓の通算18枚目のシングル。
五輪が木田高介(五輪がデビューした当時のプロデューサーで、1980年5月18日に交通事故死した)の葬儀に参列した際に、木田の妻が慟哭する姿を見て書き上げた。二度と再会が叶うことのない“別れ”を綴った歌詞は、葬儀からの帰り道で思いついたのだという。当初は「枯葉」というタイトルだったが、途中で変更された。
当初、B面に収録されている「ジョーカー」がA面の予定だったが、レコーディングの際に「恋人よ」の方が受けが良かったため変更となった。
本作は、五輪のシングルでは唯一オリコンチャート週間1位を獲得し、100位内には35週間ランクイン。累計売上はミリオンセラーを記録した。
女性シンガーソングライターで、本名は鈴木眞弓。高校時代にフォークグループを作り、テレビ番組『ヤング720』(TBS)やラジオの公開録音『バイタリス・フォーク・ビレッジ』(ニッポン放送)などに参加した。
1972年10月、CBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)より、アルバム『少女』とシングル「少女」の同時発売でデビュー。CBS・ソニーは、五輪に同じCBS・ソニー所属の「たくろうと並ぶ日本フォーク界の最重要人物!」とキャッチフレーズを付け、吉田拓郎と同様に個人レーベルを持たせ「UMI」を作り、期待の大きさを示した。
マスメディアでは「和製キャロル・キング」と謳われ、日本女性シンガーソングライターの草分けと呼ばれた。
1978年3月21日発売の「さよならだけは言わないで」のヒットにより、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』やTBSテレビ『ザ・ベストテン』(今週のスポットライト・コーナー)など、歌番組への生出演が多く見受けられるようになる。
1980年にリリースされたシングル「恋人よ」は当初はB面(カップリング)用の曲であったが、歌入れの後にその出来の素晴らしさにA面として発売されることになった。「恋人よ」は大ヒット、彼女の代表曲となり、同年の第22回日本レコード大賞金賞を受賞し、より幅の広いシンガーとして認知された。
1980年代後半からは結婚・出産・育児のため活動をセーブし、表立った活動を控えていた時期もあったが、2000年代に入ってからは徐々にその活動を再び活発化させており、その古典的かつ普遍的な作風は、豊かな声質と歌唱と共に、今もなお国内外で高い評価を得続けている。
生誕:1951年1月24日
出身地:東京都中野区
活動期間:1972年 ~
※情報はウィキペディアより
※2024年3月時点の情報