1981年4月1日リリース
作詞:阿久悠
作曲:坂田晃一
編曲:坂田晃一
「もしもピアノが弾けたなら」(もしもピアノがひけたなら)は、西田敏行のシングル。作詞をした阿久悠は1981年の『日本作詩大賞』を受賞した。
元々は、1981年4月4日から8月29日までに放映された西田敏行主演の『池中玄太80キロ』第2シリーズの挿入歌として作られた曲で、同番組の主題歌の「いい夢みろよ」のB面として発売されていた。しかし、視聴者からの反響が大きく、のちに「もしもピアノが弾けたなら」が主題歌に変更され、A面とB面の立場が入れ替わる形となった。
作詞の阿久はその時代で旗色が悪くなっていた不器用な男に対する応援歌を書きたいという願いをドラマの主人公のキャラクターに託したという。そして、歌詞に出てくるピアノは「少しばかり器用なサービス精神」との解釈でよいと述べている。
郡山貯金局に勤める今井泉と紀惠の間に生まれる。「敏行」の名は「何事にも動じず、素早く行動してほしい」という意味で父から名付けられたものである。5歳の時に母は同じ美容師の男性と再婚し、伯母・美代(母の姉)の申し出で、西田家に引き取られた。
1967年にアカデミー時代の友人と劇団『シアター67』を結成するが一年後には解散。ちょうどその頃、1967年(昭和42年)に『渥美清の泣いてたまるか』(TBS) でテレビ俳優としてデビューしている。
1968年(昭和43年)、青年座俳優養成所に入り、1970年(昭和45年)に卒業し、青年座座員となる。同年の青年座7月公演『情痴』(作:西島大)で初舞台を踏んだ。
1976年(昭和51年)にレギュラー出演した『いごこち満点』と『三男三女婿一匹』(共にTBS)で注目を集め、森繁久彌のアドリブにも堂々と渡り合う硬軟自在で個性的な演技と、愛嬌のある顔立ちや体型で人気を獲得した。
1977年(昭和52年)には『特捜最前線』(テレビ朝日)、1978年(昭和53年)には『西遊記』(日本テレビ)に重要な役でレギュラー出演した。さらに1980年(昭和55年)には『池中玄太80キロ』(日本テレビ)と『サンキュー先生』(テレビ朝日)で主演を務め、翌1981年(昭和56年)にもNHK大河ドラマ『おんな太閤記』で準主役を務めるなど、連続ドラマに出演した。
また、歌手活動も精力的に行い、1981年(昭和56年)4月に発売した『もしもピアノが弾けたなら』(『池中玄太80キロ』第2シリーズ主題歌)は大ヒットとなった。
1988年(昭和63年)から映画『釣りバカ日誌』シリーズに出演。三國連太郎とのコンビで、最終の第20作(特別編2本を入れると22作)まで約22年に及ぶ長期シリーズとなり、自身の代表作の一つとなった。
2001年(平成13年)、朝日放送テレビ『探偵!ナイトスクープ』の2代目局長に起用され、1月26日放送分から2019年11月22日放送分まで、約19年間にわたりレギュラー出演した。
2018年(平成30年)4月の春の叙勲で旭日小綬章を受章。同年7月30日、福島県が県民栄誉賞を贈ることを発表した。
2024年(令和6年)10月17日、東京都世田谷区の自宅でベッドで冷たくなっているところを付き人により発見され、死亡が確認された。76歳没。同月8日の映画『劇場版ドクターX』の完成報告会見に出席しており、亡くなった当日も仕事の予定を入れていた。
生誕:1947年11月4日
出身地:福島県郡山市
活動期間:1967年 ~ 2024年
※情報はウィキペディアより
※2025年3月時点の情報