1982年11月21日リリース
作詞:小椋佳
作曲:小椋佳
編曲:桜庭伸幸
梅沢富美男が発表した1枚目のシングル。元々歌うつもりは無かったが、西田敏行など当時は売れている役者は歌を出す風潮があったため、それを断るには無理難題を押し付けるしかないと考えた梅沢は、自身が好きな「シクラメンのかほり」「愛燦燦」などを手掛けた小椋佳が楽曲提供するなら、と断るつもりで提案したところ、丁度ディレクターが小椋が以前勤めていた第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)の後輩で、その縁を元に小椋に頼み込んだらOKが出たので梅沢曰く『歌う羽目になった』という。
オリコンでは1983年10月10日付チャートで前週の30位から躍進、TOP20入りを果たし、以後は上位に定着。翌1984年1月23日付チャートで最高8位を記録している。
結果、累計50万枚を越す大ヒットとなり、梅沢は1983年の『日本有線放送大賞新人賞』を受賞。また、同年の『第34回NHK紅白歌合戦』においても歌唱された。
本名は池田 富美男。生まれた当時、阪神タイガースの主力選手だった藤村富美男に因んで「富美男」と名付けられた。自身が1歳7ヶ月の時、初舞台を踏む。
富美男が中学校に進学した年(1963年度)に、兄の梅沢武生が清から一座を引き継いだ。独学で得た女形の美しさが一躍話題となって「下町の玉三郎」と呼ばれる一座のスターになり、また副座長として兄を支えた。2012年10月に武生から座長を引き継ぎ、武生はその後見に回る。
2000年代以降は、バラエティ番組やワイドショーでのコメンテーターとしての出演が増加、特技である料理の腕前を披露することも多い。
生誕:1950年11月9日
出身地:福島県福島市
活動期間:1952年 ~
※情報はウィキペディアより
※2021年3月時点の情報