1979年5月25日リリース
作詞:阿久悠
作曲:浜圭介
編曲:竜崎孝路
八代の代表曲のひとつ。阿久悠作詞の本曲を初めて八代が聴いた時、最初のフレーズを聴いただけで「必ずヒットする」と直感したという。
本曲は元々、『スポーツニッポン』に連載していた「阿久悠の実践的作詞講座」の美空ひばり編の教材として作られたものを、過去に阿久と『街の灯り』(歌・堺正章)を創作して以降、作曲家として起死回生を狙っていた浜圭介が曲を付け、八代が歌うことになった。
発売当初の売上は当時の八代のシングルとしては低調だったが、発売年の紅白で八代が大トリで歌唱して後、年明けからは売れ行きが加速した。
八代 亜紀(やしろ あき)
本名は増田 明代(ますだ あきよ)。読みは異なるものの、芸名は出身地の八代(やつしろ)市から採っている。
中学卒業後、地元熊本のバス会社九州産業交通(現:九州産業交通ホールディングス)のバスガイドとして勤務していたが、15歳で父親の反対を押し切り上京。銀座のクラブ歌手となり、スタンダードやポップスなどを歌った。
1971年にテイチクより「愛は死んでも」でデビュー。読売テレビのオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場して10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンとなる。
1973年に「なみだ恋」が120万枚とヒットした後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発する。
生誕:1950年8月29日
出身地:熊本県八代市
活動期間:1971年 ~
※情報はウィキペディアより
※2021年4月時点の情報