1949年7月1日リリース
作詞:サトウハチロー
作曲:古関裕而
「長崎の鐘」(ながさきのかね)は、藤山一郎のシングル。
第1回NHK紅白歌合戦で本曲を歌唱し、白組トリおよび大トリを務めた。紅白ではその後も1964年(昭和39年)・第15回、1973年(昭和48年)・第24回(特別出演)、1979年(昭和54年)・第30回(特別出演、メドレーの2曲目で歌唱)の3回歌唱された。
なお「長崎の鐘」の吹き込みは最初、池真理子で行おうとレコード会社は考えていたが、歌詞を見た池は「『長崎の鐘』は永井隆博士のご心境を歌ったものであるから、男の人が歌うべき」と思い、尊敬していた藤山一郎による吹き込みを切望し、会社側を説得した。
藤山 一郎(ふじやま いちろう)
本名は増永 丈夫(ますなが たけお)。東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を首席で卒業。東京音楽学校で培った正統な声楽技術・歌唱法・音楽理論と、ハイバリトンの音声を武器にテナーの国民的歌手・流行歌手として活躍。
1930年代から1940年代にかけて「酒は涙か溜息か」・「丘を越えて」・「東京ラプソディ」・「青い山脈」・「長崎の鐘」など数多くのヒット曲を世に送った。
理論・楽典に忠実に歌ったことから正格歌手と呼ばれ、その格調高い歌声は「楷書の歌」と評された。1992年(平成4年)、スポーツ選手以外では初めて国民栄誉賞を生前受賞した。
生誕:1911年4月8日
出身地:東京府東京市日本橋区蛎殻町(現・東京都中央区日本橋蛎殻町)
活動期間:1921年 ~ 1993年
※情報はウィキペディアより
※2024年3月時点の情報