弘田三枝子/人形の家

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1969年7月1日リリース
作詞:なかにし礼
作曲:川口真
編曲:川口真

「人形の家」(にんぎょうのいえ)は、弘田三枝子のシングル。

累計売上は100万枚を突破。第11回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。
この曲のヒットで、弘田三枝子は2年ぶりに『第20回NHK紅白歌合戦』への出場を果たした。

弘田 三枝子(ひろた みえこ)

ポップス、歌謡歌手で本名は竹永 三枝子。歌唱力とパンチの効いた歌声で、洋楽をカバーした和製ポップスを歌ってヒットをさせ、和製R&B娘とも評された。後のミュージシャン(都はるみ、大瀧詠一、山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐ら)に多大な影響を与えた。

世田谷区立三宿小学校の生徒だった頃から劇団こまどりに入り、幼稚園の頃FENのラジオに魅せられて歌手になることを決意。
1961年に東芝音楽工業から、草野浩二担当のもと「和製ブレンダ・リー」のキャッチフレーズをうたい「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピロのカバー)でデビュー。
翌1962年には各社競作で出された「ヴァケーション」(コニー・フランシスのカバー)が20万枚のヒットを記録する。

1968年5月30日には、リズム・アンド・ブルースのコンサートをサンケイホールにて開き、ライブアルバムを制作し、日本におけるリズム・アンド・ブルースの先駆けとなった。

1969年10月20日、「人形の家」でオリコンチャート首位となり、第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。

2006年にレコードデビュー45周年を迎え、「弘田三枝子じゃずこれくしょん」CD8枚組BOXを発売。「Everything」「接吻」「SWEET MEMORIES」「いとしのエリー」 「駅」など、はじめて日本の楽曲をカバーした。

2015年10月21日、レコードデビュー55周年記念として32年ぶりの新曲「悲しい恋をしてきたの」を発売。ボーナス・トラックに「人形の家」のピアノバージョンを収録した。

2020年11月20日には、第62回日本レコード大賞特別功労賞を受賞した。

生誕:1947年2月5日
出身地:東京都世田谷区池尻
活動期間:1961年 2020年


※情報はウィキペディアより
※2024年3月時点の情報

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