いしだあゆみ/ブルー・ライト・ヨコハマ

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1968年12月25日リリース
作詞:橋本淳
作曲:筒美京平
編曲:筒美京平

「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、いしだあゆみの26作目のシングル。いしだあゆみの代表曲であり、累計150万枚を超える売上を記録するミリオンセラーとなった。
いしだにとって自身初のオリコン週間1位を獲得し、1969年の年間チャートにも第3位にランクインし、「“歌手”いしだあゆみ」のイメージを確立した。

横浜のご当地ソングとして代表的な楽曲であり、横浜市が2009年の横浜港開港150周年を記念して「横浜市のご当地ソング」のアンケートを取ったところ、2位の童謡「赤い靴」を大きく引き離し、「ブルー・ライト・ヨコハマ」が第1位となった。

作詞者の橋本淳によると、本楽曲のイメージは港の見える丘公園(横浜市中区山手)から見える横浜と川崎の工業地帯の夜景と、自身がかつてブルー・コメッツと共に降り立ったフランス・カンヌの夜景の美しさを重ね合わせたものであるとのこと。

いしだ あゆみ

女優、歌手、元フィギュアスケート選手で、本名・別名義は石田 良子(いしだ よしこ)。

5歳からフィギュアスケートを始め、選手として活躍したほか、児童劇団でも活動し、「ともだち劇場」で泉田行夫の指導を受けた。1961年には梅田コマ劇場で初舞台を踏む。

1962年、14歳で上京していずみたくに師事。4月20日にソノブックス社よりソノシート『夢みる恋(原題:Walkin’ Back To Happiness)』が本名の石田 良子名義でリリースされた。

1964年4月に現在のいしだ あゆみに改名し、日本ビクターから『ネェ、聞いてよママ』でアイドル歌手としてデビュー。
同年から翌1965年にかけては『七人の孫』に森繁久彌の孫役で出演するなど、劇団出身の演技力を活かして歌手と女優の二足のわらじで芸能活動を開始した。

歌手活動に専念しイメージチェンジを図るため、1968年6月に日本コロムビアへ移籍。同年12月に発売したシングル『ブルー・ライト・ヨコハマ』が翌1969年初頭から大ヒットし、同年2月10日にはオリコンチャート週間1位にランクイン。累計150万枚を超える売上を記録するミリオンセラーとなった。

1989年上半期のNHK連続テレビ小説『青春家族』のヒロインを清水美砂とともに務め、放送時点41歳で当時としてはヒロイン史上最年長だった。2003年下半期の連続テレビ小説『てるてる家族』(原作:なかにし礼)で上原多香子が演じた岩田夏子はいしだがモデルで、自らもクラブ歌手役として出演した。

2020年には文化庁長官表彰、2021年には旭日小綬章受賞。旭日小綬章受賞にあたっては「身に余る光栄でございます」とコメントしている。

生誕:1948年3月26日
出身地:大阪府池田市
活動期間:1960年


※情報はウィキペディアより
※2024年3月時点の情報

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