美川憲一/柳ヶ瀬ブルース

この記事は約2分で読めます。

本ページはプロモーションが含まれています

1966年4月1日リリース
作詞:宇佐英雄
作曲:宇佐英雄
編曲:小杉仁三

美川憲一の3枚目のシングル。作詞作曲者の宇佐英雄は岐阜市の歓楽街『柳ヶ瀬』で流しでこの曲を歌っていたが、彼が自費製作したフィルム・レコードを入手した日本クラウンのディレクター長田幸治が、デビュー当初は青春歌謡路線を歌っていた美川憲一について、「(美川に)青春歌謡路線は向いていない」と判断し、路線を転換させるために3枚目のシングル盤として歌わせたものであり、実際に美川が演歌・ムード歌謡路線に方向転換する転機になった曲である。

青春歌謡と比べ暗い曲調のため、当初は美川自身「私は明るい性格だから」などという理由により歌いたくなかったとしばしば番組などで語っている。

美川 憲一(みかわ けんいち)

古賀政男の指導を受け、1965年「だけどだけどだけど」で歌手デビュー。デビューは青春歌謡路線であり、当時は男装・美少年キャラクターであった。

芸名の「美川」は愛知県・三重県・岐阜県を流れる木曽川・揖斐川・長良川の3つの美しい川にちなむ。美川自身は長野県出身で2歳から東京に居住し、岐阜とは何の縁もなかった。デビュー当時のプロダクションの担当者が岐阜出身であり、岐阜に由来する芸名を付けられた。「川のように息が長く、美しい歌手であるように」という意味が込められている。

生誕:1944年5月15日
出身地:長野県諏訪市

活動期間:1965年~


※情報はウィキペディアより
※2021年2月時点の情報

タイトルとURLをコピーしました