1967年2月リリース
作詞:川内康範
作曲:猪俣公章
編曲:猪俣公章
水原弘の代表曲のひとつ。本楽曲で1967年の「第18回NHK紅白歌合戦」に5年ぶり4回目の出場を果たした(以降、1973年・第24回まで7年連続出場)。その後、1969年の「第20回NHK紅白歌合戦」と、生涯最後の紅白出場となった1973年の「第24回NHK紅白歌合戦」でも歌唱され、紅白では計3回歌唱された。
発売当初は佳川ヨコと競作であったが、水原盤の売り上げのが圧倒的であり、現在でもこの曲は水原弘の曲という認識が一般的である。
水原 弘(みずはら ひろし)
マナセプロダクションに在籍していたが、一時期、渡辺プロダクションに所属。井上ひろし、かまやつひろしとのトリオで「三人ひろし」と呼ばれていた(ただし水原の持ち味は当時の「ロカビリー・アイドル」としては全く異質であったため、後に守屋浩と交代する)。
その歌唱力は誰もが認める実力だったが、水原自身の不器用さと、破天荒で無頼漢を気取った豪放磊落な生き方が周囲の誤解を招いたところは否めず、晩年はヒット曲にも恵まれず不遇の生活を送り、42歳の若さで亡くなった。
村松友視がその生涯をまとめた評伝を書き下ろしている(『黒い花びら』村松友視、河出書房新社、2005年)。
生誕:1935年11月1日
出身地:東京府東京市深川区(現・東京都江東区)
活動期間:1959年 ~ 1978年
※情報はウィキペディアより
※2021年1月時点の情報