1964年4月リリース
作詞:伊吹とおる
作曲:小池青磁
演歌歌手で、本名は川内 優(かわうち まさる)。
幼少の頃からの父親の影響により、1942年に初代天光軒満月に弟子入りする。芸名を「天光軒優月」と名付けられ、大阪天満の国光席で初舞台を踏む。
1945年、終戦後1年半捕虜となり、その後帰国し、大阪で浪曲師として復帰する。
1961年11月に日本浪曲協会の幹部に昇進し、「大木伸夫」と改名する。改名披露と同時に浅草国際劇場の恒例浪曲大会に、吉野夫二郎作「本能寺その前夜」で初登場した。
1962年3月、アクションスター赤木圭一郎の一周忌にポリドールレコードより発売された歌謡浪曲「トニーは今も生きている/流転」でレコードデビューする。
1962年5月20日にポリドールレコードより「青年よ大志を抱け/若い日本だ」で歌手デビュー。10月には「花と竜/男の花道」を発売、12月には「天野屋利兵衛は男でござる/南部坂雪の別れ」を発売する。また、12月23日放映の東京映画「喜劇 駅前飯店」に座長役で映画初出演をした。
1964年4月、藤圭子の他、いまだに多くの演歌歌手(現在は天童よしみ、氷川きよしなど)に歌い継がれている「涙の酒」(「涙の酒/遠山の金さん」)を発売する。その発売記念に、サンケイホールにて大木伸夫リサイタルを、1964年5月2日に開催。
特別出演に美空ひばり、高田浩吉。友情出演に、村田英雄。他、出演に西田佐知子、畠山みどり、水谷良重、梓みちよ、青山ミチという豪華な舞台は、フジテレビを通じて全国的に中継された。このリサイタルを祝い、親友村田英雄が自ら作詞・作曲した「裸の男」をプレゼントした。
1996年12月18日、検査入院の時に医療ミスで心不全からくる脳梗塞で倒れ、第一線から退く。
2012年9月、日本浪曲協会に名誉顧問として復籍。10月26日、浅草公会堂にて、日本浪曲協会主催公演・第一回浅草浪曲祭のサプライズゲストとして昼の部に出演。約50年ぶりに浪曲の舞台に挨拶で登場した。
生誕:1925年4月29日
出身地:佐賀県伊万里市
活動期間:1962年 ~ 2013年
※情報はウィキペディアより
※2024年3月時点の情報